「英文を追いかける子」と「英文に追われる子」の決定的な違い

· 塾長の指導観・雑感

宇都宮市英語専門進学塾EX 塾長のブログ

単語帳は真面目にやっている、文法問題集も解いている。

それなのに、長文読解になると途端につまずいてしまう。この現象には、様々な原因があります。


私自身、高校生の頃は英語は好きでした。ただ、難易度が高い文が出題されると、「知らない単語が出てきたらどうしよう」「難しい構文があったら・・」と、常に警戒しながら読んでいました。一文一文を、まるで地雷原を歩くように慎重に、恐る恐る進んでいたのです。


当時の私は「英文に振り回されている」状態でした。英文が主導権を握り、私はそれに翻弄される受け身の読者。

この状態では、どれだけ時間をかけても正確な理解には到達できません。なぜなら、恐怖心が邪魔を支配し、文章全体の流れや筆者の意図を掴む余裕がないからです。
 

そこで読み方を根本的に変えました。「この英文は、私にどんな新しい世界を見せてくれるのだろう」という好奇心を持って、自分から英文を追いかけるようにしたのです。

特に英検の長文は豆知識系の文章の出題が多く、興味をそそる内容が多く読むのが楽しくなってきました。

すると驚くほど理解が深まりました。知らない単語があっても、文脈から推測しようとする。難しい構文があっても、筆者が何を伝えたいのかを探ろうとする。この姿勢の変化が、すべてを変えたのです。

考えてみれば当然のことです。私たちが英語を学ぶのは、英語圏の人々の考え方、文化、最新の情報にアクセスするためです。つまり本来、英文読解は「新しい知識との出会い」であり、知的好奇心を満たす行為のはずなのです。


眉間にしわを寄せ、肩に力が入り、一文ずつ区切るように読んでいるなら、それは「追われている」状態です。一方で、少し前のめりになり、ページをめくる速度が自然で、時折「へえ」という表情を見せるなら、それは「追いかけている」状態です。


この違いを生むのは、能力の差ではありません。英文に対する心理的な立ち位置の差です。そしてこの立ち位置は、意識的に変えることができます。
 

母国語ではない言語を学ぶということは、本来わくわくする冒険のはずです。英文は敵ではなく、未知の世界への扉。

その扉を恐る恐る開けるのではなく、「向こうに何があるんだろう」と期待を持って開ける。その姿勢の転換こそが、英語力を飛躍的に伸ばす鍵です。