宇都宮市英語専門進学塾EX 塾長のブログ
「enjoyは自動詞ですか、他動詞ですか?」
この質問に対して、生徒はしばしば「知っているか、知らないか」という枠組みだけで答えようとします。
答えが分からない場合、「分かりません」と即答してしまう。けれども、この反応こそが、日本の英語教育や、もっと言えば思考力そのものを鍛える上で最大のハードルの一つなのです。
なぜなら、「知らない=分からない」という反応は、考えることを放棄しているからです。分からないものに出会ったとき、「少し考えてみよう」「手がかりは何だろう」と自分なりに試行錯誤してみる
これが、学びの本質であり、知的成長の出発点です。
しかし、現実には「知らないものは仕方ない」と思考停止してしまう子があまりに多い。まず、この“クセ”を修正しなければ、どれだけ粘り強さを説いても意味がありません。子どもたちを「考える入り口」に立たせるための地道なステップが必要なのです。
例えば、「自動詞」「他動詞」という言葉自体の定義が曖昧な場合、「enjoyがどちらなのか?」を判断することなど到底できません。
「自動詞ってなんだっけ……」「ああ、目的語を取らないのが自動詞だよな」と、記憶の引き出しを探す——このプロセス自体が思考の始まりです。
ところが、教科書や塾で“聞いたことがある”程度の曖昧な知識しかなければ、何も出てきません。
よくある「えーと、自動詞は目的語を……」というつぶやきは、まさに思考の足場を固めようとする第一歩なのです。
そのうえで、「enjoy」がどちらに分類されるかを実際に考えるためには、頭の中で具体的な例文を思い浮かべる必要があります。
「I enjoyed dancing. あ、目的語をとるな、だから他動詞か」——こうして抽象的な文法知識(自動詞/他動詞の定義)を、具体的な使い方(例文)に結びつけることができて、ようやく“答え”にたどり着けるのです。
ところが、これがなかなかできない。
だから「どちら?」と聞かれても、知識だけでなく、具体に落とし込む力が求められます。これは単なる知識問題ではなく、まさに“思考力”の問題なのです。
私は日々、生徒たちと接しながら、「知らない」ことをそのまま「分からない」で終わらせず、「分からないときこそ、どうやって考えるか」という姿勢を徹底的に問い直しています。
そして、思考の入り口に立つための「補助輪」を惜しまず出します。たとえば、「じゃあ、英語の授業で“enjoy”をどんなふうに使った?」とか、「“enjoy”の後ろに何が来てた?」と、考えるきっかけを与える。
そのうえで、「思い出せなかったら、他の動詞でもいいから“目的語をとる”ってどんなこと?」とさらに視点を変えてみる。思考の“手すり”を一つひとつ作ってあげる感覚です。
こうしたやり取りを繰り返すうちに、生徒は「知らなくても、考えることで到達できる」という体験を積み重ねていきます。
この「抽象⇄具体」を行き来する力こそ、思考力の土台です。
大切なのは、思考力と言っても“粘り強く考えろ!”という精神論だけでは意味がないことです。
たとえば、「考えるクセをつけなさい」と繰り返し言っても、それが“どのように”考えるのか具体的な方法論を伴わなければ、子どもたちは実践できません。
思考のステップを「分解」して可視化することを意識するとよいです。
「分からないことに出会ったとき→関連する知識を思い出す→例文で試してみる→根拠とともに答えを出す」。
このプロセス自体を、繰り返し“体験”させることが、思考力を鍛える最短の道だと考えています。